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この先に見えるもの

教育関係で社会人ひよっこ。ツルツルのたまごが思う日々のこと。

筆記具の終わりを見届ける幸せ

思うこと 実用書 文房具

こんばんは。

少し日があいてしまいました。

忙しかったからではなく、特に書くようなこともなく、書く気も起きず、ダラダラとした日々を過ごしていたためです。

こういう時に無理をして記事を捻出できない自分の性格が嫌でもあり、結構好きだったりもします。

ちゃんとしなくちゃですね。




今日、私の筆ペンのインクが切れました。


インク切れの体験回数

筆ペンはなかなか使わなくとも、普段ボールペンを持ち生活をしている人がほとんどだと思います。


その中でいったい何回のインクが切れる瞬間を体験したでしょうか。



今年度の4月当初から、わたしこっそり数えていました。

ボールペン

SARASAの黒、1ミリ 2回
0.5. 1回
赤 1ミリ 1回

ジェットストリーム 黒 0.7ミリ 1回

油性ペン

フェルトペン細字 黒 6回
赤 1回

水性ペン

フェルトペン 細字 赤1回

万年筆(コンバーター使用なので目安)

F 4回
MF 1回

デスクペン

極細 12回




今年は例年よりも体感として多い気がします。


仕事柄、そして教科柄、筆記具を使う機会は普通の方より多いのですが、毎年最低5回はペンの命が尽きる瞬間は見届けている気がします。

油性ペンとデスクペンは、検定の練習ですごく消耗しています。
正規の使い方はしていないかもしれません。
ごめんよ。



去り際の美しさ

インクが切れる理想というのは、使っている途中で尽き果て、線が途切れてしまう瞬間です。


途中で途切れ途切れになり、危ないときもありながら、最後までペンの使命を全うした姿を見ると、「ああ、使い切れて良かった」と毎回感じます。


プツンと線が途切れて、そこからは空を切るペンの跡は、ちょっと感動すら感じる美しさだとわたしは思うのです。

虚無と輝きが同時に来るみたいな。




ものを消耗するということ

ペン先の故障や、ペン自体の紛失によって使い切れないことも多々あります。


むしろ、学生時代のわたしはなくし物が本当に多くて、文房具は好きですぐに飛びつくのですが、結局途中でなくしてまた買い直すことがほとんどでした。


今でもリップクリームや目薬はよく無くしてしまいます。。。。




学校で働き始めて、自分でて本を書く機会も増えました。
自分の文字に価値がつくことを知りました。


すると、今までのような杜撰な筆記具の使い方ではいいものがかけないと思うようになり、そこから最後まで使い切る習慣がついてきたのです。


たかがペン、されどペン。


消耗品の一つにすぎませんが、わたしにとってはお仕事のパートナーの一人でもあります。

毛筆とはまた違った刹那感を孕むペンのインク終わりは、心をなんとも言えない状態にしてくれます。

毛筆には毛筆の素敵な刹那があるのですが、語ると気持ち悪いのでまたいつか。



みなさん、大切な消耗品はありますか?

テスト期間に思うこと

思うこと 教育関係 非常勤講師について

こんばんは。

そろそろ各勤務校がテスト週間に突入しています。

芸術科はテストがありません。
非常勤講師のため監督も当たらないので、テスト期間はいつも少し一息つける習慣です。

何をして過ごしているのか
常勤講師の先生や、もしくは他の地域、学校によっては非常勤でもテスト監督が当たるところもあるようですが、私の学校では非常勤講師は監督も当たりません。
期間中は授業がないため、基本は学校に行く用事はなくなります。

たまに入る学校の予定が二つ。

①欠席過多の生徒の補講

休みが多い=作品が出来ていない=採点するものがない

のループに陥っている生徒がいれば、複数呼び出し、テスト一週間前の放課後やテスト期間に残ってやってもらいます。
生徒によりけりですが、ここが私にできる唯一の、そして最後の救済措置のような気がしています。

②成績処理
期末考査期間は学期ごとの成績処理が待っています。
去年は闇雲すぎて反省ばかりだったので、今年はスタイルを変えています。

作品ごとの採点はその週に済ませて、考査期間中に割合と計算をすませる、といった具合です。

アナログ人間の私には割と苦手な作業ですが、なんとかやってこれています。

成績についてもいつか書きたいなー。

主に上記二つが、考査のない非常勤の考査中のお仕事というところでしょうか。



生徒から見たテストなしの授業は?

テスト直前の授業で、開始前に必ずある質問。


「自習ですか?」


まあまあ気持ちはわからなくもありません。
成績が決まる大事なテストです。
普段の手抜きがある子には挽回のチャンス。
わかりやすい点数は自分の指標になりますものね。

きっと一部の生徒にとっては、テストによる指標のない、やさしい教科なのかもしれません。

まあ、私は基本自習は取りません。

持ち時間を与えられている責任と、ちょっとの思いがあるからです


勘違いされたら困ること

ここからは私がこう思っている、という話ではなく、形態、システム上のお話をします。



テストのない教科は楽だ

という言葉は、学生時代からもよく聞きましたし、比較してそうだと思っている人は結構いるでしょう。

出席してればテストもないし、あらかた点数はもらえるだろう、と。

でも、そこを逆方向に捉えて欲しいのです。

「テストがない分、日々の積み重ねしか評価材料がないんだよ」と。

みんなが(私も昔は)欲しがっていた、テストの点数。


そのために、テストのない教科の授業中、作業をせずにテスト勉強に当てた時間は、テストの点数には反映されたかもしれないけれど、その教科の評価にはどう反映されていただろうか?

と一度考えてみて欲しいのです。




割り切ることと理解が大事

これは、自分の授業を聞いて欲しいとか、サボるなという内容の記事ではありません。

確かに、芸術は基本的に授業に出席し、作品提出をし、努力や頑張り、創意工夫が見られれば、他の教科よりも単位のなくなる可能性は少ないです。

その分、本来もっと評価されるべき生徒がある回数分の授業を片手間に行うことで失う「点数」という代償が、とてももったいないのです。


それぞれの教科、受験に関わるから、好きだから、苦手だから。

個人の取り組みの姿勢に違いが出るのは仕方がないです。

そこをわかった上で、上手に割り切ることができたらなーと、生徒たちや、先生も見ていると思うことがあります。



本来学校で教える教科に大小はあるのか。




なーんてことも考えちゃったり。

どうにもならないんですけどね。



それぞれの良いところを伸ばしていければと思ったり。
出来ることをしようと思ったり。

そんな感じでございます。

『君の名は。』を観てきました

思うこと 雑記

ここ一週間で周りの人に聞いた、見に行ったほうが良い映画。


テスト期間の空き時間を使い、映画館へ『君の名は。』を見に行ってきました。

「まだやってるかな?」と心配していましたが、さすが興行収入150億。まだまだたくさんの映画館で上映されていました。

ちょっと遠出をしたいなーということで、大阪ではなく神戸まで、映画を観に行くことに決定。


新海誠のイメージ

私が初めて観た新海誠監督の作品は、かの有名な秒速5センチメートル
中学生か高校生ぐらいだった気がします。
ほかには言の葉の庭雲の向こう、約束の場所を少しだけ見た程度ですが、アニメーション映画の中ではとても好きな雰囲気でした。

個人的な新海誠作品は
・長く詩的なモノローグ
・背景の緻密な書き込みと美しさ
・女の子を描くのがすきそう
・登場人物の表情が不安

全体的な丁寧さと、物語のたくさんの線の引き方?(感情が一つではない描き方)、少し残るチープさが愛らしく、とても固有性のある監督さんだなあと感じていました。


君の名は。』率直な感想

そんなイメージと印象を踏まえての今回の鑑賞でした。
できるだけ前情報は入れないでおこうと思って、ネットの感想やニュースはシャットダウンしていました。
なのですごく新鮮に見れたのはとても良かったです。

あらすじやネタバレなどはほかのブログやサイトで詳しく載っていると思うので、そのページを参考にしてみてください。
私は細やかなレビューは苦手なもので。。。



映画を観終わってすぐの第一声は、


「疲れた、、、。」
でした。

それはマイナスの意味ではなく、映画としてとても見ごたえがあったから。

冒頭から20分ぐらいは、「深夜アニメでたまにあるすごく当たりな作品」感があり、こういう感じで進んでいくのかなーとちょっとがっかりしたのですが、瀧君たち三人が飛騨に行き、三葉についての真相に触れてからの展開は長編映画そのもの。


そこからの情報量と話の進み方は、私がイメージしていた新海誠監督の映画のはるか上を行っていたので、ついていくためにすごく見入っていたのだと思います。

だから「疲れた」のかなーというポジティブな感想でした。



高校生たちも感動したといっていたので、恋愛面が強く協調されているのかと思ったら、それほどでもないように感じました。


もちろんメインは三葉と瀧くんの「結び」や関係性、出逢いや再開の流れなのですが、話として後半のスリリングさ、何度か絶望するような場面も挟まれているため、その話の展開のほうが印象に残っています。


これだけ評判になっていたら何か悪いところでも探してやろう、という邪な姿勢もあったのですが、そんな気持ちは消えるぐらい「良い映画」を観た気がしました。

なるほど、世代を選ばない作品だなあと。


唯一あげる疑問点

出来るだけ映画の感想や情報はシャットダウンしていたのですが、その中でも入ってきた記事や話の中で、多くて不思議に思ったのが、


細田守監督作品との比較」です。

やれ「時をかける少女」と比べ、「おおかみ子供の雨と雪」とも比べ、「サマーウォーズ」や「バケモノの子」も引き合いに出したり、、、



いやいや、なんでそこ?と思っていました。
アニメ映画ならなんでも一緒くたなのかと。


しかし、見終わってから冷静に考えると、それらの考察、一理あるなあと思ったのです。



確かに、新海誠監督の繊細な風景描写や話の造り込みは素晴らしかったのですが、どことなく細田作品を彷彿とさせるような描写が多かったかもとは思いました。


爆破に向けてテッシーと二人で企むところしかり、入れ替わりのコミカルなやりとりしかり。
(神木隆之介に引っ張られたのかなあとも思いつつ、、、)


すごく良い映画でしたが、一点だけ疑問を挙げるとすると、

新海誠でなくても良い映画だったかもしれない」

という感想です。
疑問なので、だから悪いとかそういう意味ではなく。


きっと幅広く見られていく映画だとは思うのですが、私の描いていた新海誠監督の作風よりも、大衆向きで、いろんな意味で面白く仕上がっていたように感じました。




アニメ映画の未来

今まで日本のアニメ長編はジブリ作品一強でした。
たまのディズニーやテレビアニメの延長もありましたが。


私としては今敏を第一に挙げたいのですが、世間としてはまだ小さい枠組みの中で止まっていて、社会全体に見られるアニメの代表はやはりジブリ


今までの新海誠作品もそう。ネットや一部で白熱しても、ジブリに並ぶのはすこし難しかった印象でした。


そんな中、コンスタントにヒット作を飛ばし、ロードショウでも流すことのできる作品を多く作り出したのが細田守監督だったような気がします。


新海誠監督も、きっとそこに続いていくんだろうなあ。と感じています。


だからこそ、代表作扱いになるこの「君の名は。」は、もう少し他の作品と差別化できたものだったらなあというのが本音です。


あたらしいアニメーション映画の柱として、これからどんな作品が生まれるのか、楽しみですね。


いろいろ書きましたが、とても良い映画には間違いなかったです。


夜は中華を食べ、良い休日になりました。

授業の時間配分、難しい

教育関係 思うこと

今日の学校は色々と休日が重なり約1ヶ月ぶりの授業でした。

少人数で意欲もある講座。
今日も課題の説明、ポイント整理、書いて見せ、やってみてもらい、あーだこーだと言いながら進める時間。

今年はこの講座の穏やかさに引っ張られて、自分もまるで穏やかな人間になったような錯覚に陥るほど、私に影響力のある時間です。


今日は授業の組み立てに失敗したなーという感想です。

反省も交えて、「時間配分」の難しさ、つらつらと書いていこうかと思います。

授業時間のポリシー

私の授業のポリシーは「開始チャイムの終わりで始め、終了チャイムの終わりまでで全員が片付け終わること」です。

私に与えられた授業時間を一分一秒でも過ぎるということは、生徒の貴重な休み時間を奪うこと。

そんな理不尽な残業を生徒にさせるわけにはいかないので、もち時間内に全ての作業をおしまいにさせることを第一に考えています。


時間配分以外の工夫

道道具の片付けの進度はもちろん、生徒一人一人、作業の進み方には差があります。

早い生徒が時間を持て余さないように。
そして、じっくりの生徒が間に合わないということのないように。

何分から提出片付け、というのは簡単です。

それまでの暇になりそうな生徒へのワンステップアップの耳打ちや、遅れそうな生徒への助言、授業後半はその辺りとの戦いでもあります。

そしてその二つ以外の、順当なペースで授業をしている生徒も、本当に順当なのか。

見回しながら、声かけをしながら、確認をしている時が、生きているうちで唯一「自分が5人いればなー」と思う瞬間です。
いないけど。


時間だけではない問題

今日のミスは、時間だけではありませんでした。

今日は生徒たちの調子が良く、順々にポイントを押さえて課題をこなしていました。
残り25分、清書の形式を伝えると同時に、いつもと違うことをしてみました。

普段なら行かないワンステップアップのコツを、一言こそっと説明したのです。


こっちは時間の調節のために伝えたのですが、今日はノリに乗っていた生徒たち。

そこからさらに集中がまし、結局三分の一ほどの生徒がチャイムがなっても書いている状態。


これはちょっとやってしまいました。

しかも今日の学校は休み時間が五分。

結局二人、授業に遅れて行く羽目に。


時間は結構大事なこと

こんなことでと思う人もいるかもしれませんが、どういった形であれ時間配分を間違えるのはこたえます。

生徒たちに私の采配ミスで時間を取らせてしまったわけですから。



そういう調節、しなやかにうまくなりたいなー。

ちょっと凹んだ週初め。

朱印帳と写経について

思うこと 書道 雑記

女性の間で流行っていますね。朱印帳



そもそも朱印とは
寺社仏閣で、神職様やお坊さんにお願いすると頂ける神社の名前、ご本尊の名前、日付やその場所のハンコなどを押してもらえるもののことです。

その朱印を集めるための「朱印帳」(集印帳などともいう)は、各お寺や神社でオリジナルのものが発売されており、その手帳に書いてもらうことで日本全国津々浦々の朱印を集めることができます。

書き手によっても個性があるし、神社によっても書風や雰囲気も違います。

連綿線を左右に幅広く振るような現代風のデザイン、楷書で厳格に書かれているデザイン、力の抜けた流麗な草書のデザインなど、本当に様々。

最近ではいろいろなお寺、神社で手軽にもらえるところが増えましたが、本来御朱印はただ集めるだけのものではありません。

そもそも朱印をもらうには

今でこそお金を払うともらえることが多い御朱印ですが、本来はそれだけではありません。


本来、朱印というのは、そこのお寺や神社で「写経」をし、その写経を何のためにしたのか願いを込め、読経をしてもらいそこのお寺や神社に収めた証としてもらうものだったのです。


写経をする意味

写経でよくあるのは「般若心経」ですので、これからはそれで統一します。

最初から最後まで写経をしたことがある人は、どれほどいるのでしょうか。
最近はペン字や筆ペンの練習に写経を!というテキストなんかも出ていますね。



写経の目的は、上手に書くこと、早く書くことなんかではありません。


そのお経の意味をしっかりとかみしめ、心を落ち着かせながら、静かな空間で精神を統一することだと思っています。


だから、へたくそでも、最悪敷き写しでも最初はいいのです。



そして、写経をしたら最後のほうに「為」と書くところがあります。
ここには、何のために写経をしたのか、どんなことを願うのか、などを書きます。

例えば「為 家内安全」「為 大願成就」 「為 ○○(祖先の戒名)」などなど。



その願いをかなえるために、心を無にしてお経を書き写します。





朱印帳をしている方には、一度でもいいからお寺で写経をし、それを読経してもらい、お寺や神社に収めてから、その証として朱印をもらうという手順を踏んでほしいなと思っております。


朱印をもらうことの意義

御朱印はそれぞれの神社仏閣で様々な工夫がされていて、季節の期間限定ものや、数量限定の色付きデザインなんかをがしているところもあります。(THE 商業)


最近はそういった珍しい朱印を、オークションで売り出すケースが相次いでいるみたいです。


この方の記事でも書かれていました

そういったニュースを見ると、せっかく現地に行ったのに手に入らなかった人の気持ち、さらに、書き手としてその朱印のデザインを乱れることなく書き続けるという、神業のようなお仕事をしている人たちの気持ちを考えてしまいます。


そして、そんな他人がもらったものを高い値段で落とす人がいることにもちょっとびっくり。


何のための御朱印なのかなーと。スタンプラリー的な、収集癖の一つのような感覚なのでしょうか。




ままま、あまり「御利益がー、、」というのを信じるほうではないのですが、朱印集めは素敵な趣味だと思います。

だから、せっかくやるなら一度でもいいので写経納めからやってみてほしいなーと思います。

最近あんまり筆を持っていないなーという方にも、書に触れなおすいい機会になるはず!
文字ハードルが高いなら、今は筆で仏さまの姿をかく「写仏」もあるのでぜひチャレンジしてみてください。

結構写経ができるところはたくさんあるみたいです。


どこの回し者でもありませんし、朱印集めもしていない私からのお知らせでした。

今、学校にいること

教育関係 思うこと 非常勤講師について 書道

私は今、主に高校で書道などを教える仕事をしています。
すごく興味深く面白いです。


しかし、本採用を目指すのか?ずっと高校で教えるのか?
というと、そう考えているわけではありません。

私には、遠い未来に、とてもささやかな夢があるからです。



こんな記事を見ました。

学校の先生を諦め、塾(教室)を開くことを目指しているというものです。

これを読んで、教科や目的、理由は違えど感じるものがありました。


自分の将来

私は、遠い将来は自分の書道教室を開くことが目標です。
その教室は派閥や流派の一切ない、ただ美しい文字を書き、書で自分を表現できる場所です。

子供も大人もこれるような、みんなにとっての1日にホッと集中できる場所になればと思っています。

目標を叶えるために

上記の目標を叶えるために、私には乗り越えたいステップが幾つかあります。

たとえば、


・教室にするための部屋がある、一戸建てを建てること。

・なにかしらの看板になる資格を取ること

・小さい子を預かれるような年齢まで修行を続けること



この条件をクリアできないと、私は夢を叶えられない、というよりも、スタートラインに立ってはいけない気がしているのです。



そんなことを考えてはいましたが、ステップを超えるまでには自分が思うにあと十年は要します。
(心構えも込みで)




幼い頃からの夢、高校時代には今の考え方は構築していたのですが、なにぶん夢のスタートラインに立つまで、つまり大学を出てからの空白の期間のことは、なにも考えていなかったのです。


大学時代に出会った教職

何も答えが見つからないまま、とにかく書道を続けたいと思って選んだ大学で、何か資格は取らなければと思い、教職を選択しました。

その中で、私が思い描いていた夢と、教職課程の絶対的な理由に気づきました。

それは、「みんなが書を学びたくて来ているわけではない」ということ。

芸術選択は音楽、美術、書道の三教科から選択し、一年の必修授業を受けます。

その中には、第一志望が書道の生徒、仕方なく消去法で書道にした生徒、違う科目を選んでいたのに書道になった生徒、様々です。

私は、書がうまくなりたいと思っている子に教える「書道」のビジョンしか描いていませんでした。

だから、教職の授業や教育現場にボランティアで出向いた時、何もできず悔しい思いをしたことを覚えています。


どうして適当に字を書くの?


どうして何枚も練習しないの?



その解決法や答えを見つけるため、私は書道科目以外の教育関係の授業にも足を運ぶようになりました。

その中で出会った公教育についての様々な意見や、オルタナティブ教育と呼ばれるものたち、教育の格差、様々なことを体感し、私は一つのことを見つけました。

「様々な人がいる、多様な学びの場所は、なんて可能性に溢れているんだろう」


ただただ書の上手い子だけを育て、囲い込み、主従関係を作るだけの書道教室しか知らなかった私に、教職過程は書道、大きくみれば芸術教育の可能性や難しさを教えてくれました。


だからこそ今、わからないことだらけの公立高校で、たくさんの生徒と筆を持ち時間を共有できています。


今、学校にいること

私の夢は昔から変わりません。
自分の理想の書道教室を開くことです。


ではなんで今、理想とは違う教育現場で講師をやっているのか?

夢が叶うまでの保険か、経験のためか。

そう思う方も多いでしょうが私はそれだけではないと思っています。



私は、書道教育の可能性を高校に見出すことができたから。



ここで沢山のことを学び、沢山の書の世界や捉え方に触れることが、損得関係なく、今の私のしたいことになっていたのです。

学校も、街の書塾も、どちらが素敵というわけでもなく、どちらにも素晴らしい可能性が秘められているなあと思うのです。

ならば、生きてる間にどちらもどっぷり経験してみたいのです。




だいぶ教科に偏ってしまいますが、多分これが私が今学校にいる理由なのかもしれません。

味気のないお弁当

思うこと

こんばんは。

働き出して2年目とはいえ、掛け持ちの非常勤講師。
授業がなく無収入な期間や空いている土日は副業もしていますが、それでもお金はコンスタントにありません。

その上学生の時にはなかった様々な支払い。



今までのお金の使い方は、趣味(書道、文房具、本、ご飯)を最優先。
毎月稼いだ分だけ散財していました。まるでそれが上質な自己投資のように。


このままではいけない!と働いて一か月で危機感を覚え、まず取り組んだのが「お弁当作り」です。

わたくし、家事全般が本当に不器用で、料理はその中でも一番苦手でした。

作ったとしても人にあげる勇気もなく、胃袋に入ればそれでいいという「男料理」ばかり。
大学生活はほぼ外食の日々でした。

慣れないうちは家を出る二時間前から料理開始。たった五品程度を作るのに朝四時の台所を右往左往する日々は、ずいぶん長いこと続いた気がします。

何んとなーく慣れてきて今では三十分程度で完成できるようになりました。


しかし、自分でお弁当を作り始めてから日々思っていること。

「まずくはないけど、感動がない。。。」


高校までの母親が作ってくれるお弁当は、お昼になると何が入っているのかドキドキしながら蓋を開け、慣れた家庭の味をかみしめる時間は幸せのひと時でした。

外食にしても、お気に入りのお店に入り、好きなメニューを頼み、プロの味を食す。その行いには「食」に対する幸せが詰まっていました。


しかし今は、自分のためにだけ作る一人分のお弁当。


卵をまくのも一個分だと厚みがなくて貧相だし、おかずも朝から一人分というのも効率が悪い気がしてなかなか難しい料理には手が出せません。


少し多めにつって入りきらない分は朝ごはんとして食べることにしているのですが、朝食べたおかずをそのまま昼に繰り返すというのもなんとも味気ない。。。


自分が作ったものだからもう味もわかりきっています。

なんだか、お昼ご飯の楽しみが一つ減ってしまったような気がして、ちょっと悲しい日々を過ごしています。
エネルギー摂取のためだけの時間になってしまっているというか、何というか。


既婚の男性教員の皆さんの、色とりどりの美味しそうなお弁当を見て、自分のその場しのぎのお弁当を見て、ため息。。。

まあ、私が飽きないような美味しい料理を作れればいい話なんですが、、、。




楽しいお昼御飯が食べたいなーっというお話でした。