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この先に見えるもの

教育関係で社会人ひよっこ。ツルツルのたまごが思う日々のこと。

「来年も授業ある?」が突き刺さる

思うこと 教育関係 非常勤講師について

今年新しく赴任した学校。

4月当初、新しい先生という存在の私に戸惑い反抗的な面もあった生徒たちも、少しずつ、お互いに今の空間に慣れてきている感じはあります。

 

いい意味と、良くない意味でも「慣れてきた」。

 

中だるみと呼ばれる二学期。

長い期間で三学期の作品制作に向けてどう舵を切るか、私とあの子達の駆け引きゲームは続きます。

 

そんな中、ある生徒が発したことば。

 

「なんかなー、授業受けてから字が変わってきた。書く時の気持ちも変わってきた。」

 

こんなに嬉しい言葉はありません。

 

当初はかなり壁があり、ある時期は出欠の点呼にも返事をしなかったこの子。

筆を持ち、自分にもできるんだ、という実感が湧いてからは、少しずつですが授業にも前向きになり、私との会話も増えました。

 

「習い事は続かないけど授業で週一あるのは楽しい。

 

来年も授業取れる?」

 

彼女の意欲に反して、学校の授業というのはそんなに都合良く作れるものでも、受けれるものでもありません。

 

選択の授業は最終学年には設置されていないということ、新しく作っても、来年私がいるかはわからないということ。

 

そんなことをゆっくりとお話ししました。

 

学校は誰でもくることができる場所、と以前のエントリーでも書かせてもらいました。

生徒にとって開けた場所であって欲しいと。

 

生徒は、時々ものすごく学校を信用してくれます。

ものすごく先生を求めることもあります。

 

嬉しいし、反感ばかりを持って死んだ目をする学校生活よりもはるかに理想的ですが、私はそれが全ての「いいこと」とは言い切れません。

 

1人の先生だけにしか心を許さないということは、裏を返せばその他大勢の人を敵にすることもできます。

その依存の行き着く先は、2人だけの信頼関係か、それとも地獄のような孤独か。

 

心を許せる場所、帰ってこれる場所として、救いを求めている生徒の居場所になるのは当然のことです。

ただ、それ以外の選択肢を排除するような依存に答える対応は、とても良くないと思うのです。

 

たくさんの可能性や世界を体験してもらうため、コツコツと、ひとつひとつの想いを丁寧に会話で伝えること。

 

今の私にはこれが精一杯、誠実さの結晶です。

 

来年や彼らの卒業までを見てあげられないかもしれない、という悩みは非常勤だから付いて回っているのかと思っていたけれど、どんな立場でも変わらないんですよね。

 

人が生きていれば絶対なんてない。

そんなことを痛感しています。