この先に見えるもの

教育関係で社会人ひよっこ。ツルツルのたまごが思う日々のこと。

今、学校にいること

私は今、主に高校で書道などを教える仕事をしています。
すごく興味深く面白いです。


しかし、本採用を目指すのか?ずっと高校で教えるのか?
というと、そう考えているわけではありません。

私には、遠い未来に、とてもささやかな夢があるからです。



こんな記事を見ました。

学校の先生を諦め、塾(教室)を開くことを目指しているというものです。

これを読んで、教科や目的、理由は違えど感じるものがありました。


自分の将来

私は、遠い将来は自分の書道教室を開くことが目標です。
その教室は派閥や流派の一切ない、ただ美しい文字を書き、書で自分を表現できる場所です。

子供も大人もこれるような、みんなにとっての1日にホッと集中できる場所になればと思っています。

目標を叶えるために

上記の目標を叶えるために、私には乗り越えたいステップが幾つかあります。

たとえば、


・教室にするための部屋がある、一戸建てを建てること。

・なにかしらの看板になる資格を取ること

・小さい子を預かれるような年齢まで修行を続けること



この条件をクリアできないと、私は夢を叶えられない、というよりも、スタートラインに立ってはいけない気がしているのです。



そんなことを考えてはいましたが、ステップを超えるまでには自分が思うにあと十年は要します。
(心構えも込みで)




幼い頃からの夢、高校時代には今の考え方は構築していたのですが、なにぶん夢のスタートラインに立つまで、つまり大学を出てからの空白の期間のことは、なにも考えていなかったのです。


大学時代に出会った教職

何も答えが見つからないまま、とにかく書道を続けたいと思って選んだ大学で、何か資格は取らなければと思い、教職を選択しました。

その中で、私が思い描いていた夢と、教職課程の絶対的な理由に気づきました。

それは、「みんなが書を学びたくて来ているわけではない」ということ。

芸術選択は音楽、美術、書道の三教科から選択し、一年の必修授業を受けます。

その中には、第一志望が書道の生徒、仕方なく消去法で書道にした生徒、違う科目を選んでいたのに書道になった生徒、様々です。

私は、書がうまくなりたいと思っている子に教える「書道」のビジョンしか描いていませんでした。

だから、教職の授業や教育現場にボランティアで出向いた時、何もできず悔しい思いをしたことを覚えています。


どうして適当に字を書くの?


どうして何枚も練習しないの?



その解決法や答えを見つけるため、私は書道科目以外の教育関係の授業にも足を運ぶようになりました。

その中で出会った公教育についての様々な意見や、オルタナティブ教育と呼ばれるものたち、教育の格差、様々なことを体感し、私は一つのことを見つけました。

「様々な人がいる、多様な学びの場所は、なんて可能性に溢れているんだろう」


ただただ書の上手い子だけを育て、囲い込み、主従関係を作るだけの書道教室しか知らなかった私に、教職過程は書道、大きくみれば芸術教育の可能性や難しさを教えてくれました。


だからこそ今、わからないことだらけの公立高校で、たくさんの生徒と筆を持ち時間を共有できています。


今、学校にいること

私の夢は昔から変わりません。
自分の理想の書道教室を開くことです。


ではなんで今、理想とは違う教育現場で講師をやっているのか?

夢が叶うまでの保険か、経験のためか。

そう思う方も多いでしょうが私はそれだけではないと思っています。



私は、書道教育の可能性を高校に見出すことができたから。



ここで沢山のことを学び、沢山の書の世界や捉え方に触れることが、損得関係なく、今の私のしたいことになっていたのです。

学校も、街の書塾も、どちらが素敵というわけでもなく、どちらにも素晴らしい可能性が秘められているなあと思うのです。

ならば、生きてる間にどちらもどっぷり経験してみたいのです。




だいぶ教科に偏ってしまいますが、多分これが私が今学校にいる理由なのかもしれません。